2011年 02月 17日
記憶
先日、2歳になった甥っ子が遊びに来た。
もう手助けなしで一人で階段を上り下りできる(しかも手すりにつかまらず!)。メキシコに渡る少し前に、必死に階段を上ろうと頑張ってる姿を見たのがつい最近のように思えるが、子供は本当にどんどん一人前になっていくんだなぁと感心して見ていた。
その光景が、後になってなーーんかひっかかっていて、階段のところに行くとふとよみがえるのだけど、昨日になって急にあるイメージが頭の中に浮かんできた。
それは、階段を後ろ向きで降りる姿。場所は、自分の家。
しかも、そのビジョンはどうやら自分。階段の最上部でクルッと後ろ向きになって、膝をついて降りてくる。
あぁ、そういえば私、階段降りるのが怖くて、後ろ向きで降りてたなぁってことを急に思い出した。
いつまでそうしていたか、もう忘れてしまったが、その光景が記憶にあるってことはけっこう大きくなるまでそうしていたのかもしれない。
もしかしたら、その記憶は2歳とかのものかもしれない!
なんて思ったら、人間の記憶力ってすごいなぁと思った。1日前のことすら忘れてしまうこともあるのに、もう何十年も前のことが、まだ消されずにのこっていることもあるなんて!
同じような光景を目にして、急に記憶が蘇る。不思議な体験のようで、でもただ思いだそうとしなかっただけかもしれない。
私の生きた約30年、約11000日、約262800時間分の記憶を思い返すことなんてまず不可能だけれども、でも過ごした時間分記憶は刻まれているはず。
これからテオドロの成長を見ていけば、またきっと自分の幼き記憶が蘇ったりするのかもしれない。ちょっぴり楽しみ♪
記憶力。
テオドロだって、もういっぱしの人間。記憶力だってすでにある。
いま、どんどん新しいことを吸収して、記憶して、やがて、今吸収していることが、大人になってから何かの拍子に思い出すことがあるかもしれない。もちろん0歳児の記憶がどこまで続くのか。
でも、今感じていることが脳にはしっかり刻みこまれ、やがてそれが人格とかを形成するのに影響するのであれば、できるだけ「苦しい」「辛い」「悲しい」「さみしい」というネガティブな記憶は減らしてあげたい。もう十分味わってきたんだし。
できるかぎり苦痛のない環境を作ってあげるのが親である私の務め。色々経験させるのも大事だけれど。
将来なにかの拍子に蘇った幼いころの記憶が、特別ではなくても、幸せな記憶であってほしいなぁと思う。
そういう私は、結構ネガティブな記憶を長くとどめておく人間だったりするので、テオドロにはそこのところポジティブメキシカンなパパ似に育ってくれればいいなぁと思ってます。
by chevere2008
| 2011-02-17 22:12
| 日々のこと