2010年 11月 04日
NICUママ友
私の息子テオドロは、新生児集中治療室(NICU)に生れてから4か月間入院していました。
入院していた病院には、予期せぬ早産などで小さく生まれた赤ちゃんを最高9人まで受け入れていて、24時間体制で、先生と看護師が赤ちゃんの命を救っています。
出産時に一時的に呼吸が弱かったりした赤ちゃんも運ばれてきますが、こういう子は回復次第退院していきます。
退院の目安は体重が2300gを超えて、おっぱいも飲めて、特別な治療を必要としなくなった時。
群馬県内にNICUのある病院が3か所しかないということもあり、お世話になった桐生厚生のNICUも常に満床。
しかも、入院当初は息子同様2300gまで長い道のりの赤ちゃんばかり。
赤ちゃんが心配で毎日面会にくるママパパ。
最初は私もよそに目を向ける余裕すらなく、ただただ保育器越しに「生きて!!」と祈る日々だったのですが、1カ月2カ月と過ぎていくと、毎日顔を合わせるものだから、お隣さんともお話することが多くなってきます。同じ痛みを持った親同士だから、話せたんだろう。
まずは、搾乳室でママ同士、「おっぱいの出が悪くて」とか「どのくらい頻繁に搾乳するか」とかのおっぱいトーク。
そこで仲良くなると、お互いの赤ちゃんを見せ合ったり、家庭の様子や、早産した経緯なんかを話すようになり。
私の場合、パパがメキシコに帰国して以来、ほとんど話をする人がいなかったので、こうやって励まし合える仲間ができて、だいぶ気持ちが楽になりました。
もちろん、赤ちゃんどうしを比べてしまえば、うちの子はダントツで小さかったけれど、赤ちゃんはそれぞれ必死に生きようとしているし、まずは丈夫になってくれさえすればサイズはいつか追いつくだろうと、とくに焦ることもなかったです。
NICUで長く過ごしたママ達は、そうやってみんな強くなっていきます。
何人ものNICU仲間の退院を一緒の喜んできました。
そんなNICUで同じ辛い時期を過ごしたママさんたちと、退院後も連絡をとっていたので、ついにうちの子の退院メールを送れることが本当にうれしかったな。
テオドロのお隣で、やっぱり長期入院していたRくん。やっぱりママ友になって、退院後もRくん連れて面会に来てくれたり。
ところが退院メールを送っても返信が来ない。
いろいろ家庭の事情もあって、忙しいんだろうなと思っていた。
ところが、最近何度か電話がかかってきていて。そして、今度は私がなかなか着信できず。
そんな矢先に桐生市で起きた小学6年生の自殺のニュース。
なんでも、5年生の時に母親がフィリピン人であるという理由でいじめにあったからとか。
ドキンっときた。
だってRくんママもフィリピン人。
もしかしたら、このニュースで滅入ってしまっているのではないかと思った。
助けを求められているんじゃないかって。
だって、私はRくんママから日本で暮らす外国人の辛さも聞いていたし、私はメキシコに帰れば、Rくんママと同じ立場。少しばかり親近感があったから。
今年はこのママには本当に辛いことばかりの年だった。本当にドラマのように不幸がどんどん押し寄せて、外国人なのに本当によく辛抱してるなぁって思ってた。
唯一の救いは、かわいいかわいいわが子がそばにいることだろう。
だからこそ、子供のSOSはママのSOSなんじゃないかって。
しかも、最近4歳の女の子が電車にはねられ死亡というニュース。
これまた、この夏Rママの身近で起こった事故に重なる。
即SMSでメッセージを送ってみた。
そしたら、その晩電話がかかってきた。
元気そうな声。
ホッとした。
こんなニュースを知ってか知らずか、あえて話はしなかったけど、本当に子育て大変だけど楽しんでる様子だった。
1歳違いのお姉ちゃんが携帯電話を壊してしまったらしく、誰からのSMSがわからなかったらしい。
予定外に早く生まれた弟を、わずか1歳で受け入れられるはずもなく、お姉ちゃんはとっても焼きもちを焼いて、入院中からママたちも手を焼いていた。
それでも、家族4人でとっても仲が良い。
Rくんはもう6kgにもなるそう。
そんな話を手短にして、「今度の検診で会えるの楽しみだねぇ」っていって電話を切った。
悲しいニュースが多くて、沈んでいたのは私の方だった。
親になるって、打たれ強くなることなんだろうな。
明日がその検診の日。
お互いの近況報告に花が咲くんだろうな。子供の成長がママの頑張った成果。
うん、楽しみだ!!
入院していた病院には、予期せぬ早産などで小さく生まれた赤ちゃんを最高9人まで受け入れていて、24時間体制で、先生と看護師が赤ちゃんの命を救っています。
出産時に一時的に呼吸が弱かったりした赤ちゃんも運ばれてきますが、こういう子は回復次第退院していきます。
退院の目安は体重が2300gを超えて、おっぱいも飲めて、特別な治療を必要としなくなった時。
群馬県内にNICUのある病院が3か所しかないということもあり、お世話になった桐生厚生のNICUも常に満床。
しかも、入院当初は息子同様2300gまで長い道のりの赤ちゃんばかり。
赤ちゃんが心配で毎日面会にくるママパパ。
最初は私もよそに目を向ける余裕すらなく、ただただ保育器越しに「生きて!!」と祈る日々だったのですが、1カ月2カ月と過ぎていくと、毎日顔を合わせるものだから、お隣さんともお話することが多くなってきます。同じ痛みを持った親同士だから、話せたんだろう。
まずは、搾乳室でママ同士、「おっぱいの出が悪くて」とか「どのくらい頻繁に搾乳するか」とかのおっぱいトーク。
そこで仲良くなると、お互いの赤ちゃんを見せ合ったり、家庭の様子や、早産した経緯なんかを話すようになり。
私の場合、パパがメキシコに帰国して以来、ほとんど話をする人がいなかったので、こうやって励まし合える仲間ができて、だいぶ気持ちが楽になりました。
もちろん、赤ちゃんどうしを比べてしまえば、うちの子はダントツで小さかったけれど、赤ちゃんはそれぞれ必死に生きようとしているし、まずは丈夫になってくれさえすればサイズはいつか追いつくだろうと、とくに焦ることもなかったです。
NICUで長く過ごしたママ達は、そうやってみんな強くなっていきます。
何人ものNICU仲間の退院を一緒の喜んできました。
そんなNICUで同じ辛い時期を過ごしたママさんたちと、退院後も連絡をとっていたので、ついにうちの子の退院メールを送れることが本当にうれしかったな。
テオドロのお隣で、やっぱり長期入院していたRくん。やっぱりママ友になって、退院後もRくん連れて面会に来てくれたり。
ところが退院メールを送っても返信が来ない。
いろいろ家庭の事情もあって、忙しいんだろうなと思っていた。
ところが、最近何度か電話がかかってきていて。そして、今度は私がなかなか着信できず。
そんな矢先に桐生市で起きた小学6年生の自殺のニュース。
なんでも、5年生の時に母親がフィリピン人であるという理由でいじめにあったからとか。
ドキンっときた。
だってRくんママもフィリピン人。
もしかしたら、このニュースで滅入ってしまっているのではないかと思った。
助けを求められているんじゃないかって。
だって、私はRくんママから日本で暮らす外国人の辛さも聞いていたし、私はメキシコに帰れば、Rくんママと同じ立場。少しばかり親近感があったから。
今年はこのママには本当に辛いことばかりの年だった。本当にドラマのように不幸がどんどん押し寄せて、外国人なのに本当によく辛抱してるなぁって思ってた。
唯一の救いは、かわいいかわいいわが子がそばにいることだろう。
だからこそ、子供のSOSはママのSOSなんじゃないかって。
しかも、最近4歳の女の子が電車にはねられ死亡というニュース。
これまた、この夏Rママの身近で起こった事故に重なる。
即SMSでメッセージを送ってみた。
そしたら、その晩電話がかかってきた。
元気そうな声。
ホッとした。
こんなニュースを知ってか知らずか、あえて話はしなかったけど、本当に子育て大変だけど楽しんでる様子だった。
1歳違いのお姉ちゃんが携帯電話を壊してしまったらしく、誰からのSMSがわからなかったらしい。
予定外に早く生まれた弟を、わずか1歳で受け入れられるはずもなく、お姉ちゃんはとっても焼きもちを焼いて、入院中からママたちも手を焼いていた。
それでも、家族4人でとっても仲が良い。
Rくんはもう6kgにもなるそう。
そんな話を手短にして、「今度の検診で会えるの楽しみだねぇ」っていって電話を切った。
悲しいニュースが多くて、沈んでいたのは私の方だった。
親になるって、打たれ強くなることなんだろうな。
明日がその検診の日。
お互いの近況報告に花が咲くんだろうな。子供の成長がママの頑張った成果。
うん、楽しみだ!!
by chevere2008
| 2010-11-04 10:28
| 日々のこと